「記録」から「楽しみ」を求めるトライアスロンへ
京都の伝統野菜「九条ねぎ」の生産・加工・販売を手がける「こと京都」。農業界のトップランナーとして知られる山田敏之社長は、トライアスリートとしての顔も持っている。
30歳を過ぎてからトライアスロンに挑戦して、ヒザの怪我から現在は一線を退いているものの、60歳からの再チャレンジを目指し現在はリハビリと練習に取り組んでいる。山田社長がトライアスロンに魅せられた理由と、今後の展望について聞く。
まったく泳げない状態からトライアスロンに挑戦
ENRICH(以下E):山田社長がトライアスロンをはじめた理由を教えてください。
山田:30歳のときかな。体重が92キロくらいあったんです。農業をはじめる前はアパレル業界にいて、そのときの部下がトライアスロンをしている姿を見て、自分もなにかはじめようと思ったのがきっかけですね。最初はランニングからはじめたんですが、実際に走ってみたら女性にも高齢者にも簡単に追い抜かれる(笑)。それが悔しくてね。それからは1時間早く起きて、30分走ってシャワーを浴びて出勤。そこからジムで鍛えたり、10キロマラソンに出たり。苦労したのは水泳ですね。最初は沈まないようにビート板を挟んで、手で水をかくように動かしたら進むよというところから。
E:水泳は本当に基礎の基礎からはじめたんですね。
山田:クロールで息継ぎができない人は、「早くしないと」という焦りでバタバタして沈んでしまうんです。私は泳げるようになるまでプール1~2杯分の水を飲みましたよ(笑)。とりあえず500メートル泳げるようになると後はいっしょですよ。気持ちの問題。週2、3回ペースで練習して半年ほどで泳げるようになりました。
E:バイクはどうだったんですか?
山田:バイクは普通に乗れました。私が参加した宮古島のトライアスロン大会は155キロを走るんですが、バイクだけのタイムは80番台でしたね。プロといわれる人がだいたい40番台に入るようです。私が最初に出場したのはショートの大会だったんです。ジムの仲間に勧められるままに出たんですが、そこで完走したことに仲間はビックリして(笑)。そこからですね、味をしめてトライアスロンにのめり込んでいったのは。