ここまで15回以上にわたって、この夏に訪れた欧米の主要都市について紹介してきましたが、いよいよ最後の都市ベイエリアです。日本でも起業活動の聖地としてシリコンバレーの名は認識されていますが、スタンフォード大学があったパロ・アルトや、NASAのエームズ研究所があったマウンテン・ビューなど、サン・ホゼ市の北部の狭いエリアを、シリコンバレーという名称は指していました。
しかし、起業活動がサンフランシスコや、サンフランシスコからベイブリッジを渡った対岸にあるオークランドでも活発に行われるようになり、日本でシリコンバレーと呼んだ時にイメージする起業活動が活発なエリアの境界線は不明確となっています。より正確にいうと、現在の起業活動はシリコンという言葉が示す半導体などIT関連のハードウェアだけでなく、様々なITサービスや最近ではバイオテクノロジーなどIT以外の分野にも広がっていて、シリコンバレーという名称もあまり使われなくなっています。単にバレーやベイエリアという名称で、サンフランシスコ近郊の起業活動が活発なエリアを表すようになってきています。
全てはヒューレット・パッカードの創業から始まった
このベイエリアですが、直近ではIT以外の業種の有望ベンチャーも続々と誕生しているとはいえ、やはり原動力はITです。ベイエリアの歴史をたどると、ベイエリアや米国だけでなく、世界全体の在り方を変えるようなIT企業が、企業の代名詞となっているスーパースター起業家とともに登場してきたことが分かります。
皮切りとなったのがヒューレット・パッカード(HP)です。HPは今でこそ不振企業のイメージが強くなっていますが、21世紀初頭においてIBMを抑えて世界最大の売上を誇るIT企業でした。
HPは、企業名にあるように共にスタンフォード大学の卒業生であるウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが1939年に創業した企業です。パロ・アルトのガレージからスタートして世界的な企業にまで発展したHPは、その後のベンチャー起業家にとってお手本になりました。ヒューレットもパッカードもともに、HPの発展により得た巨万の富で財団を設立し様々な施設をベイエリアに作るなど、コミュニティに多大な貢献をしました。
このHPの成功を大きく助けたのが、彼らがスタンフォード大学に在籍していた時の工学部長であったフレデリック・ターマンです。今でこそ、ベイエリアはもちろん、世界中で大学が起業活動をサポートすることは当たり前になっていますが、ターマンはHPの創業期に大学の施設を使うことを認めるなど、アカデミアが積極的に起業活動に関わるきっかけを作った人です。
HPだけでなく、今最も勢いのあるIT企業の1つであるグーグルもHPと同じく2人の創業者がスタンフォード大学で出会うなど、同大学は起業活動を支援するアカデミアとして50年以上に渡って世界の先頭を走り続けています。なぜ、スタンフォード大学にそのようなことが可能であったのか、今回実際にキャンパスを訪れて関係者に色々と話を聞く中で色々と感じるところがあったので、次々回のコラムで同大学について詳しく紹介します。