近年は、テレビや新聞といった旧来型マスメディアに対して激しい批判が寄せられる。多くの人がメディアの報道に対して憤っているわけだが、お金持ちはメディアを激しく批判することはほとんどない。その理由は、報道というのは、彼等にとって批判する対象ではなく大衆を知るための有益なツールだからである。
*この記事は2019年4月に掲載されたものです
日本人は新聞とテレビが大好き
そもそも人はなぜメディアの報道に対してあれほどまでに怒りをぶつけるのだろうか。その理由はただ一つ、多くの人がメディア報道に精神的に依存しているからである。
そもそも報道というものに完全な中立性などは存在しない。良識的なメディアの場合には、可能な限り中立になるよう工夫を凝らしてはいるが、そもそもニュースに取り上げるのか取り上げないのかという段階で恣意性が発生してしまう。
最近はコンビニの24時間営業の是非をめぐって激しい議論となっているが、24時間営業が絶対にダメだという価値観の人にとっては、24間営業のメリットについて解説した記事は偏向報道ということになる。だがそうした価値観のない人にとっては、その記事は情報源という位置付けにしかならない。
多くの人が「メディア報道はこうあるべきだ」と声高に主張しているのは、メディアに対して高い期待を寄せていることの裏返しである。つまり自分が思っていることや感じていることをメディアに代弁して欲しいという思いが強いのだ。
新聞通信調査会が行っている「メディアに関する全国世論調査」では、日本人は新聞やテレビなど従来型メディアに対する信頼度は70点と極めて高い数値が出ている。年齢の違いで大きな差は見られないので、これはすべての国民に共通した傾向といってよい。
同一の調査ではないが、米国で行われている各種メディア調査の結果を見ると、新聞やテレビがここまで高い信頼度を得るケースは少ない。
おそらく日本人の多くは、真偽不明の情報の中から信用できそうな情報を自ら選択するよりも、一定の体制を持った機関に情報を管理してもらい、そこに依存する方がラクだという感覚を強く持っていると思われる。そうであるが故に、自分の気に入らない報道に対しては過度に感情的になってしまうのだ。