株式会社アバンティ 代表取締役 渡邊 智惠子
「ソーシャルビジネス」という言葉が知られる以前から、オーガニックコットンを通してビジネスと社会貢献を両立してきた渡邊智惠子氏。地球環境を守りながら、関わる人すべてに価値ある商品をつくりあげ、ビジネスとして継続してきた。
近年は被災した東北を救う「東北グランマの仕事づくり」「ふくしまオーガニックコットンプロジェクト」や子ども達に衣食住の生きる原点を教える「わくわくのびのびえこども塾」などのプロジェクトにも力を注ぐ渡邊氏に、ビジネスのきっかけから今後の社会貢献のあり方までを伺った。
独立した途端、舞い込んだ
オーガニックコットンの仕事
オーガニックコットンとの出会いは、会社設立から5年経った90年のことでした。それまでアバンティは、タスコジャパンというレンズを輸入する会社の広告や国内の営業を手がけていました。当時、私はタスコの副社長も兼務していたので、タスコジャパンのコバンザメのようなかたちでアバンティを経営していました。でも、つくったからには自立した会社にしたいという思いがあり、タスコジャパンを離れて独立する決心をしました。
そうした矢先に依頼されたのが、オーガニックコットンの輸入でした。当時は独立したてて仕事を選べる立場にありません。社会問題を解決できる仕事を選んだわけではなく、生きるために引き受けた仕事のひとつ。本当に偶然の出会いでした。
ただ、オーガニックコットンにはやるだけの価値があることがすぐにわかりました。通常のコットンは大量の薬剤や化学肥料を必要とし、地球環境のダメージになる。発展途上国に行けば児童労働をさせていて人道的な搾取もある。これらを一切やめられるんだったら、やめるほうが気持ちいい。それを実現できるビジネスにNOとは言う理由はありませんでした。
もう1つ、誰もやっていないビジネスというところにも可能性を感じました。というのが28歳の頃、四柱推命の先生に「水先案内人としてけもの道をつくる人間」だと私自身が言われていたから。世の中には、土の道を舗装道路にする人、高速道路にする人、滑走路にする人、それぞれの役割があります。0から1をつくるのは大変な仕事ですが、けもの道をつくるのが自分の使命だと信じていたのです。
新しい世界への挑戦
そこで出会った一流の人々
当初は繊維業界のことなど何もわからなかったので、機屋(はたや)さんや加工所さんとのやりとりはそれなりに苦労しました。でも、女性だからでしょうか。オーガニックコットンの事を熱心に説明すると、それを粋に感じてくれて「しょうがねえな」という感じで話を聞いてくれました。
そのときに決めたのが、絶対にお金はきれいに払うこと。繊維業界は手形での支払いが慣例で、決済まで90日から180日かかります。そこを私はすべて現金で払いました。業者さん達に、出世払いのようにして協力してもらったんだから、支払いの約束は違えない。そして、私が業者さんへ仕事を発注し続けることが皆さんへのお返しと考えていました。絶対に会社を大きくするんだとがんばりました。
オーガニックコットンがそれまでのビジネスと違うと気が付いたのが、商取引で会う人がすべて一流だということ。オーガニックコットンは、ビジネスであると同時に社会性を持った“取り組み”でもあります。すぐに利益がある商売ではないので、常に話をするのは、いち担当者ではなく、トップの人間。たくさんの経営者とお会いし、いい刺激を受けながらビジネスを前向きに進めることができ、ラッキーでした。