高台に住むのがステータスというのは新しい概念
西洋では、日当たりがよく、風景もよい高台に住むことはリッチであることの証明と考える人が多い。移動には自動車を使わなければならないので、必然的にお金持ちしか住めないという考え方である。明治以降この考え方が普及し、東京は山が多い西側が急速に発展し、高級住宅地が造成されていった。
だが高台に住んだお金持ちよりも、さらに強烈に高台を目指した人達がいた。明治政府とその関係者を中心とする当時の権力者である。
国会議事堂や首相官邸は山のてっぺんに位置しているし、東京大学は本郷の高台、陸軍は市ヶ谷の山を陣取っている。東京都内で条件のよい高台はほぼすべて官庁関係の施設や大学などで占められているのだ。高台の中で公共施設が作られずに余った場所が高級住宅地であるといってもよい。
薩摩や長州の田舎から出てきた明治政府の権力者達は、西洋風のハイカラな高台に激しく憧れたのかもしれない。
もっとも最近では、逆の動きも出てきているようだ。このところ多数建設されているタワーマンションは、多くが海沿いなどの低地に建設されているのだ。
その理由のひとつとして考えられるのは土地の問題である。「一等地」と呼ばれる高台には多くの先住者がいる状態である。いくら高級マンションを作るといっても、そのような一等地はそう簡単に買収できない。結果として、これまで高級とは思われていなかった低地や海沿いに建てられることになったというものである。
もうひとつはライフスタイルの変化である。これは諸外国でもそうなのだが、最近では、経済的理由とは関係なく自動車に乗らない人が増えてきている。徒歩で都市を移動することを考えると、丘の上にあるよりも低地にあった方が利便性が高い。
やはり高台のブランドは維持されるのか、江戸時代のように再び低地に人が集まってくるのか?どちらに軍配が上がるのか興味深いところだが、この勝負の決着が着くまでには、もうしばらく時間がかかるだろう。