では、医師や弁護士、アナリストなどがいなくなるのかというと、決してそうではない。人が行う作業は決して消滅しないからである。
医者の例では、基本的な問診は人工知能が行い、重要な決断の部分だけ人の医師が行うようになるだろう。手術についても、ダヴィンチのような医療用ロボットがさらに普及することで、経験の浅い医師でもオペレーションが可能となる。そうなってくると、優秀な医師1人が判断を行い、それ以外の凡庸な医師は、優秀な医師のサポートに徹するしかなくなってしまう。
ロボットが普及してくると、一人の医師が担当できる患者の数や一人のアナリストが対応できる会社の数は、飛躍的に拡大するのである。能力のある人は、人工知能を徹底的に使い倒し、従来の何倍、何十倍の成果を上げるようになってくるだろう。そうなってくると、医師やアナリストの仕事は、能力の高い特定の人にさらに集中する可能性が高くなってくる。
つまり、ロボットが普及するということは、特定の職種がなくなる事を意味しているのではなく、十分な成果を上げられていない労働者の仕事がなくなることを意味しているのだ。これは仕事全体がなくなってしまうことよりも、むしろ残酷なことかもしれない。
ただ、社会全体としてみれば、ロボットが普及すれば、同じ仕事を少ない人数で実現できるということを意味している。ロボットの普及によって余った人材は、最終的には、人間社会をより豊かにする新しいサービスに吸収されるのが理想的であり、むしろ、そうなるように社会や経済をデザインしていくという知恵が、これからは求められることになる。
最終的にロボットは学習方法そのものも自己学習していくが、当面は、ロボットに学習の方法を教え込む仕事が重要となるだろう。こうした仕事は、既存の分野で高い成果を上げた人に与えられることになる可能性が高い。皮肉なことだが、ロボット化された社会に対応するためには、むしろ今の仕事で成果を上げられるようがんばった方がよいということになる。
ロボット関連分野の投資についても同じである。ロボットそのものよりもロボット化のためのノウハウを集約している企業の方が有利であり、具体的な成果も間接的な形で表面化してくる可能性が高い。