富裕層の人たちが多く住むといわれている街がある。東京では港区の麻布や太田区の田園調布などがそういわれている。郊外にいくと世田谷あたりにも高級住宅地と呼ばれるところがある。
確かに東京都港区の麻布近辺は街の雰囲気がずいぶんと違う。大きな邸宅や低層の超高級マンションがゆったりと並んでいる。周辺には大使館が多く、外国人がたくさんいることも高級な雰囲気を醸し出す大きな要素になっているようだ。
キーワードは高台
これらの高級住宅地には共通する条件がある。それは高台にあるという部分だ。
東京はビルや高架が多すぎて分かりにくいのだが、実は坂が極めて多く、高台と窪地が連続する地形となっている。その中で高級住宅地と呼ばれるエリアはほとんどが高台に位置している。
東京は地質学的には、武蔵野台地と呼ばれる岩盤の上にあり、川や海で侵食された部分は窪地となり砂が体積している。一方、侵食されずに岩盤のまま残ったところは高台になっている。
窪地は、砂が多く地盤が弱いため地震に対して脆弱である。また大雨の時には浸水しやすい。これに対して高台は地盤が強固で、浸水の心配がなく、風通しもよい。
六本木ヒルズ、元麻布ヒルズなど、高級住宅にヒルズと名前を付けるのにはワケがあるのだ。高台であることは、リッチなことの証明となっている。これに対していわゆる繁華街(かつての花街)は例外なく低地に位置している。だがリッチな人が高いところに住むという習慣は、実は明治以降のものである。
江戸時代には、東京はそもそも皇居(江戸城)よりも東側しか発展しておらず、高台が多い西側は「田舎」とされていた。有力な武家の多くは江戸城の近くに居を構えており、高台には住んでいなかった。今の麻布近辺にも武家屋敷があったが、下屋敷の位置づけであり、比較的身分が下の武士が住んでいたのだ。わざわざ坂を上らなければならない高台は、不便な場所であり、地位の高い人が住む場所とは考えていなかったようである。
この概念をひっくり返したのが、明治維新による西洋文化の流入である。
西洋では、日当たりがよく、風景もよい高台に住むことはリッチであることの証明と考える人が多い。移動には自動車を使わなければならないので、必然的にお金持ちしか住めないという考え方である。明治以降この考え方が普及し、東京は山が多い西側が急速に発展し、高級住宅地が造成された。
最近はタワーマンション・ブームで多くのタワーマンションが建設されている。だが先にも触れたように東京の「一等地」の高台には多くの先住者がいる状態だ。したがって、新しい高級マンションの多くが、これまではあまり高級とは言われていなかった低地や海沿いに建てられている。こうした動きに伴って、高級住宅地という概念も少しずつ変化しつつある。