このところ政治の世界では、下世話な話題で持ちきりである。だが、多くのお金持ちは、官庁トップのスキャンダルについて冷ややかな目線を注いでいるはずだ。なぜならお金持ちは基本的にセクハラとは無縁の世界に住んでいるからである。
お金に縁のない人は、相手との距離感が分からない
セクハラは、異性に対する接し方という点で議論されることが多いのだが、問題の本質は違うところにある。セクハラというのは、どちらかというとマウンティングに近い行為と思った方がよい。つまり自分の方が立場が上で権力を持っていることを相手に示す示威行為である。
その証拠に、セクハラを行う相手というのは、大抵の場合、その人物より社会的な立場が低い人である。セクハラ行為に及んだとされる次官は、冗談だからといって、上司である大臣の奥さんにも同じことができるのかというと絶対にそんなことはないはずだ。また他省の女性幹部に同じことができるのかというと、それもあり得ないだろう。
つまり、職業上の立場として絶対に反論したり意見が言えない人物を相手に選んでいるわけであって、これは異性の接し方云々とはまったく別次元の話である。
つまり自身の社会的地位の高さを利用した行為であり、つまらないマウンティングの一種ということになる。
以前、筆者はこのコラムでお金持ちはマウンティングする必要がないと述べた。多額の資産があれば、黙っていても多くの人が寄ってくる。どちらかというとお金持ちは、そうした人たちをどう選別するのかについて苦慮することが多く、わざわざ自身の職業的立場を使って人を強引に引き寄せようなどとは考えもしない。
さらに言えば、お金持ちは異性との距離の取り方がとても上手だ。その理由は、ビジネスで成功を収めるためには、周囲のあらゆる人にとって魅力的に映ることが重要であり、成功者はそのための自己演出能力に長けているからである。
人との関係は微妙なものであり、遠すぎても近すぎてもよくない。形式的で事務的なやり取りをしているだけでは、よほどの美男美女でもない限り、相手の気持ちが動くことはない。一方で、いきなり距離を近づけてしまうと、警戒感や不安感の方が大きくなる。
一定の距離がありながら、ある瞬間では少し親近感が湧くような接し方ができれば、相手の高感度はもっとも大きくなる。人の心を掴むのが上手な人は、この距離感の取り方が絶妙であり、そのような人なら、マウンティングしたり、ましてや社会的立場を利用して異性を呼び出す必要などまったくないはずだ。