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退路を絶つことの是非

嫁ブロックが意味すること

企業を立ち上げるというほどの話ではなくても、転職や新規プロジェクトの取り組みについても同じことがいえるだろう。社内の新規プロジェクトにのめり込み、結果としてその事業で経営者になってしまう人もいるが、やはりそれだけの覚悟を持って取り組む人とそうでない人との間には大きな差が付いてしまう。人間の能力というのは不思議なもので、同じ基礎能力を持っている人でも、厳しい状況に身を置くと、その何倍もの力が発揮されるのだ。

欧米企業では、30代のうちから幹部候補生を選抜し、こうした人材はあえて厳しいプロジェクトに投入し、ふるいにかけていく。30代のうちは同レベルに見えていた人材も、厳しい環境で退路が断たれると、その差が歴然とひらくようになり、50歳が近づく頃には、トップマネジメントに就任できる人とそうでない人は見事に分かれてしまう。
 
一時、ネット上で妻の反対で転職や起業ができないという、いわゆる「嫁ブロック」が話題になっていたが、これも同じ文脈で理解できるだろう。

家族というのは、人生の中で唯一、無償で支え合える相手といってよい。そうした相手すら説得できない人が、転職や起業したところで、その後、直面する厳しい交渉を乗り切れるとは思えない。

特に起業の場合には、取引先を1社開拓するだけでも大変な労力を要する。相手からすれば、出来たばかりで明日、倒産するかもしれない実績ゼロの企業である。社長によほどの説得力がなければ、わざわざそのような企業と取引する相手はいないだろう。

雇用も同じである。自分にとっては思い入れのある会社かもしれないが、そこに就職する社員にしてみれば、取引先と同様、来年、存続しているのかも分からない零細企業である。社長によほどの魅力がなければ、就職するはずがない。これはかなり厳しい交渉であり、家族すら説得できない人物では、到底、不可能だろう。

挑戦する人は、挑戦してしまうものであり、気が付いたら退路を絶ってチャレンジしていたという話なので、「妻のブロックがなければ起業や転職ができたのに・・」という話は基本的に成立しにくい。

もっとも、どのような形であれ、起業を経験するのは悪いことではない。この施策をベンチャー振興策と捉えると、一部の人が指摘するように無意味なことかもしれないが、サラリーマン向けの実地研修制度であると考えれば、それなりの意味はある。

ただ、このあたりのマインドは実際に成功した人でなければ理解できない面があり、この施策を本格的な起業家養成策と考えてしまうと確実に失敗するだろう。

*この記事は2020年8月に掲載されたものです

加谷 珪一 (かや けいいち)

経済評論家。東北大学卒業後、投資ファンド運用会社などで企業評価や投資業務に従事。その後、コンサルティング会社を設立し代表に就任。マネーや経済に関するコラムなどの執筆を行う一方で、億単位の資産を運用する個人投資家の顔も持つ。著書「お金持ちの教科書」(阪急コミュニケーションズ)ほか多数。

連載コラム

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