ネット通販などの商品を手渡しではなく玄関先やメーターボックス内に置く、いわゆる「置き配」は、日本ではなかなか定着しなかった。外資系のアマゾンが最初に取り組みをスタートしたが、当初は「盗まれたらどうするんだ」「手渡ししないのは失礼だ」など、多くの批判が寄せられた。
偶然にもコロナ危機が発生し、ヤマトや佐川など宅配各社が感染防止対策から置き配に移行したことで、日本では別の要因で置き配が定着する結果となった。
置き配についてどう考えるのかというのは、実はお金持ちマインドと密接に関係している。結論から言えば「置き配」について前向きな人ほど、お金持ちになりやすいと思ってよい。
置き配への反対論でもっとも多かったのは、盗難に対する心配である。窃盗という犯罪を容認するわけではないが、玄関先に宅配の荷物を置けば、一定割合が盗まれることは十分に予想される事態である。合理的に物事を考えられる人は、その事実を踏まえた上で盗難のリスクと置き配のメリットの両方を考え、メリットが上回れば置き配を選択する。現実に盗難に遭う確率は低いので、再配達がないなどメリットの方が大きいとの判断だ。
これはあくまで合理的な選択だが、物事がすべて合理的に進むわけではない。人間は心を持った動物であり、マインドによって行動が大きく変わってしまう。置き配に賛成する人は、犯罪者は世の中には存在しているものの「たいていの人は他人のモノを盗むことはしないだろう」と考える。一方、反対する人は「基本的に他人は自分のモノを盗もうとしている」と考えてしまう。
つまり置き配に賛成する人は、基本的に人を信じる傾向が強いのだが、この信じる力というのは、資本主義社会における成功の原動力といってよい。相手を信じることができないと、投資のように長期的な成功を期待して、相手にまとまったお金を託すといった行為ができなくなってしまう。
米国は契約社会などと言われるが、それは米国のごく一面を極端に切り取ったものに過ぎない。米国人と仕事をしたことがある人なら分かると思うが、彼等は意外と信用ベースで物事を進める傾向が強い。中国人も同様で、基本的に信用が取引の基本となっている。米国人と中国が世界でも突出してビジネスや投資が上手であることは誰もが認める事実だろう。
他人が自分のモノを盗もうとしていると考える傾向が強い人は、おそらく投資や新しいビジネスにも消極的であり、結果として大きな利益を得るチャンスを失っているのだ。
日本人は自国のことを安全で治安がよく、民度が高いと評価している。一方、米国社会は治安が悪く、犯罪が横行していると評価する人が多い。確かに米国は治安の悪いエリアは極度に危険だが、家にカギをかけずに外出する人がたくさんいるような極めて治安の良いエリアもある。
筆者は日本が突出して安全な国であるとの評価については疑問視しているが、もしその自己評価が本当なら、日本では置き配など、何の問題もなく実行できるはずだ。一方で、米国が犯罪大国だというのなら、置き配がスタンダードとなっている米国では商品のほとんどが盗まれるはずだが、ごく普通に置き配が行われている。
置き配に強く反対している人は、日本は米国をはるかに超える世界でも屈指の犯罪大国だと考えているのだろうか。絶対にそうではないだろう(統計データはないが、ネットの反応などを見ると、日本は安全で民度が高い国だと主張している人と、置き配に消極的な人の属性は似ている)。そうなると、日本の治安は世界最高だと主張しながら、犯罪リスクが高いので置き配を実施すべきではないという矛盾を抱えてしまうことになる。