ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

Vol.1 アートの歴史を理解する 1/3

政治や文化の中心はギリシアからローマへ

この後、政治や文化の中心はギリシアからイタリア・ローマに移ります。ローマ軍は勢力を拡大して戦勝を祝い数々のオベリスクや凱旋門、さらにはコロッセオも建設するほどの勢い。一方、ローマ美術では、裕福になった商人のためにギリシア彫刻のコピーがたくさん作られます。これを「ローマンコピー」と呼びますが、いま私たちが美術館で目にするこれらの彫刻は、ほとんどがローマンコピーです。

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ローマでは紀元前44年にカエサルが暗殺されると権力争いが始まり、紀元前30年にエジプト、プトレマイオス朝最後のファラオであるクレオパトラが自殺するとローマに編入、ローマは西欧の統一を果たしました。そこから2世紀、180年まで「ローマの平和」と言われる時代が続き、以降は衰退の一途を辿っていきます。

その間、紀元30年にエルサレムでキリストが磔刑にされると、ユダヤ教から分派したキリストを信仰するキリスト教が少しずつ信者を増やし、1世紀にはイタリア半島にも伝わります。多神教であったギリシア神話のローマでは皇帝も神と同一視し、一神教であるキリスト教は皇帝否定の危険思想とみなされ、教徒を激しく迫害。キリスト教徒は弾圧から逃れるため地下墓地(カタコンベ)に集まるのですが、キリスト教では偶像崇拝を禁じていたので、カタコンベの壁画に描かれる絵はシンボルと言われる魚やパン、葡萄などが描かれました。

ただし、「泉に集まる鳩」の絵であれば、泉=協会、鳩=信者を意味し「協会に集まる信者」であったり、葡萄はイエスの血などを意味します。こういった、カタコンベに描かれたモザイク画は初期キリスト教美術に当たるのです。

そして、力を失いつつあったローマ帝国は市井の圧力に押され313年にキリスト教を公認、これにより堂々とキリスト教の普及が始まり各地で教会が建てられることに。4世紀から14世紀の1000年間はキリスト教普及の時代と言われ、この期間中が中世の時代ということになり、禁欲的な時代が続きます。

エンリッチ編集部

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