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The Style Concierge

Vol.1 アートの歴史を理解する 2/3

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アートディーラー/解説者として活躍する三井一弘氏が現代アートの魅力を分かりやすく解説する本連載。前回に続きアートの歴史を解説していく。ーーー

【16世紀~19世紀:権威となる美術アカデミーへ向かう時】
〜美術の中心はイタリア、黄金期オランダ、スペインを経てフランスへ〜

レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロの3人の登場により、頂点にたどり着いた美術の世界。一方で「超えられない」という見方も生まれました。これにより、彼らのような頂点を極めた芸術を高度な手法による古典的様式として考え、それを繰り返し描写して平均化されたもっとも美しいフォルムを導き出す様式=マナーとしての新たな様式が誕生します。これを「マニエラ」といい、やがて同じ様式を繰り返すことから「マニエリスム」と呼ばれるようになります。いわゆる「マンネリ」の語源ですね。その特徴は首や体が長く身体がS字に曲がりくねり、ねじれているということ。ルネサンス期とバロック期の中間に位置する様式になります。

そして16世紀に入ると、イタリア・ローマでは、サン・ピエトロ大聖堂の老朽化による大改築のため莫大な経費がかかることに。弱体化していた協会は資金繰りに困っていて、当時のローマ教皇でメディチ家出身のレオ10世は、犯した罪の償いを軽減する証明書となる「免罪符(贖宥状)」の発行に踏み切ります。

ところが、この免罪符。厳格なキリスト教徒が多い北方のドイツでは教皇の世俗化と聖職者の堕落だと批判され、これはマルティン・ルターの宗教革命へつながります。ローマ・カトリックからプロテスタントの分離へと発展していきました。

これにより、多くの信者の流出を招いたカトリック教会ですが、信者を再び教会に呼び戻すアイデアとして、教会の天井に空を舞いあがる天使を描くだまし絵など、ドラマティックな天井画や絵画、彫刻を作るようになりました。例えば、アンドレア・ボッツォによるローマ、サンティニャツイオ教会の天井画は、あたかかも天井が天高くまで続くかのように錯覚を起こすほど。このような仕掛けが話題となり、ローマの教会に各地から再び人々が集まるようになったのです。

これを不規則に輝く「いびつな真珠」を意味するバロック「バロック様式」が誕生し、瞬く間に欧州全土に広がることに。絵画では強烈なコントラストを描き、暗い闇に明るい光が差し込むことでドラマティックな主題を浮かび上がらせ、17世紀黄金時代を迎えていたオランダではレンブラントやフェルメール。イタリアではカラヴァッジオ。スペインではベラスケス。そしてベルギーではルーベンスが活躍しました。まさにこの時代にオペラが生まれたのですが、これらの絵画や彫刻も、まるでオペラの一場面を見ているかのようにドラマチックに描かれたのです。また装飾では絢爛豪華に飾り立てられた建築として、ベルサイユ宮殿が代表的です。

エンリッチ編集部

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