ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

Vol.1 アートの歴史を理解する 3/3

権威に対する解体(反抗)の歴史の始まり

印象派の登場により西洋美術の流れは大きく変わり、美術アカデミーの権威に対する解体(反抗)の歴史が始まります。印象派は、滑らかな陰影と遠近法を駆使して二次元の絵画をいかに立体的に見せるかというアカデミーの伝統にとらわれず、一瞬の光と印象をキャンバスに描きました。

印象派の後、19世紀末には、ポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホといった後期印象派も活躍します。なかでも「近代絵画の父」と呼ばれるセザンヌは、故郷の山を描いた風景画「サント・ヴィクトワール山」で、ものの形に注目して、山の風景をブロック化してモザイクのように組み合わせる独特のタッチ「セザニアン」を確立するなど、後世の作家にも多大な影響を与えます。

ちなみに、印象派の作家たちからは、江戸時代の浮世絵が愛されたようです。もともとは、日本から陶器を輸出する際の梱包材として使われ海外でも知られるようになりましたが、1867年にパリで開催された万国博覧会で本格的に披露されることに。これがきっかけになり、19世紀後半の西欧では日本の伝統芸術の一大ムーヴメント「ジャポニスム」が巻き起こり、平面的な表現や斬新な構図、鮮やかな色遣いは印象派の画家たちに刺激を与えました。マネやモネ、ルノワールは作品の背景に浮世絵や日本的な調度品などを描き、ゴッホやセザンヌ、ゴーギャンといった大家の作品にも、浮世絵は色濃く反映されています。

まだまだ解体は続きます。20世紀に入ると、実際の色を再現するのではなく、激しく自由で色彩豊かな「フォーヴィズム(野獣派)」という新たな表現が生まれることに。次は、20世紀の巨匠であるパブロ・ピカソにより形すらも解体されキューブ状に描く「キュビスム」が誕生します。

発端となったのは、1907年にピカソが発表した「アヴィニヨンの娘たち」という作品です。当時は作家仲間のあいだでも理解されず不評を買いましたが、ジョルジュ・ブラックだけはその革新性に気づき、以降はピカソとともにキュビスムを進化させていきました。

では、その革新性とは何だったのでしょうか。「アヴィニヨンの娘たち」の女性の顔を見ると、目は正面から見たところ、鼻は横から見たところといったように、一つの作品に複数の視点が混在する「多視点」となっているのがわかり、これは単一の焦点によるルネサンス以来の遠近法を放棄した型破りの表現であり、美術史上最大の革命といっても過言ではありません。

エンリッチ編集部

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