ENRICH(エンリッチ)

The Style Concierge

Vol.1 アートの歴史を理解する 3/3

現代アートの祖、デュシャンの登場

次に登場する「抽象絵画」では、もはや描く対象の形すらなくなりました。フランス出身でニューヨークでも活動していたマルセル・デュシャンは、なんと「男性用便器」をアートにしてしまいます。

キュビスムに影響を受けたデュシャンは独自にそれを進化させ、油彩画の「階段を降りる裸体No.2」を描きますが、これは「階段を降りる」という連続した動きを撮影した写真を参考にしたもの。連続運動を分解して再構成することで二次元の画面に「運動」を取り入れようとしました。

さらにデュシャンは、それまでの絵画を目と技術に頼りすぎていて「網膜的」だと否定するようになります。結果、絵画制作を放棄し、観念により生み出される表現を探求し始めるように。「芸術作品の本質は、それ自体が美しいかどうかではなく、それを観る人の思考を促すかどうかである」と語っていて、既製品もアートになりえると提唱しました。

なかでも物議を醸したのは、男性用便器に「R.Mutt」というサインをしただけの「泉」という作品です。デュシャンはこれを1917年のニューヨーク・アンデパンダン展に出品しましたが、サインのせいで彼の作品だとわからず、展示されることはありませんでした。しかしその後、これは芸術に対する既成概念や価値観に一石を投じる重要な作品となり「概念芸術=コンセプチュアル・アート」の出発点となることに。アートは形になる前、すでに頭に中に存在しているという考えで、これぞ現代アートの基礎です。

1910年代の第一次世界大戦中、ヨーロッパやアメリカでは既存のあらゆる価値体系に反発する「ダダイスム」が起き、デュシャンもニューヨーク・ダダイスムに参加した作家の一人でした。その後、ダダイスムを離脱した仏詩人のアンドレ・ブルトンが1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表したことで、新たな芸術運動である「シュルレアリスム」が生まれることに。サルヴァドール・ダリが代名詞として知られています。

そして第二次世界大戦後、芸術の発信地はフランスからアメリカへ移り、ニューヨークを中心に「抽象表現主義」が生まれます。当時、欧州は戦争の爪痕が残り人々は貧しく、配給で暮らす様なありさま…。対して、アメリカ本土は戦禍を免れ、1950年代には好景気にわいていました。アメリカへ逃げてきた芸術家もたくさんいたそうです。

60年代にもなると自動洗濯機、パワーウィンドウを備えたキャデラックが登場し、アメリカンコミックや映画産業など娯楽も盛んに。その間、美術の世界では絵筆をキャンバスから離した状態で作品を描く、ジャクソン・ポロックによる「アクション・ペインティング」や大きなキャンバスを赤やオレンジで塗りつぶすマーク・ロスコなど「抽象表現主義」が主体となり、その後はナイフでキャンバスを切り裂く作風のルーチョ・フォンタナといった革命児などが現れました。

エンリッチ編集部

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