続いて登壇したデヴィ・スカルノ夫人は、「私は欧州に15年住んでおりましたが、そこで学んだことは、中世は王様がパトロンだったということです。パレスに置かれる貴重品、絵画、時計いろいろなものを作る職人や、城を建てて、劇場の俳優、作曲家、ダンザー、さらに絵画や彫刻を作る人を囲って、王様が彼らの衣食住を保証していました。宗教家に対してもそうです。大聖堂を立てる際の絵画や彫刻を作る人々が宗教家によって育てられておりました。日本でもお城を建てる際の調度品もそうですし、お寺や神社も見れば同じことですね。今、資本主義世界では、高名を馳せるには宣伝と莫大な費用が掛かります。そんな中で、そんな中で地道に努力をしている人々に、モンブランというプレステージャスなブランドの文化財団が、功績を残された人々を讃え、文化芸術の発展に寄与していることは素晴らしいことだと思います。熊川さん、おめでとうございます」と述べて大きな拍手を集めた。
そして熊川氏は、「1999年のKバレエカンパニーを設立当時、日本のバレエ界は、やはり習い事としてのバレエというのが浸透していた時代でした。その習い事の延長線上に、本来はあるべきダンサーがファイナンシャル的にも苦労せずに、踊りだけ一本で生計を立てられるということ、プロフェッショナルな環境の場ではないのかなと、自分の経験から思いました。そこでKバレエ団を立ち上げ、年間公演を50回から60回続けてきて、ダンサーたちのプロフェッショナルな意識やプロフェッショナリズムが微力ながら育ってきたのかなと今振り返ると思います。カンパニーを継承していく次世代のダンサーたち、その子供達への教育の場を提供したいと思い、10年前にKバレエスクールを立ち上げまして、着実にその成果がでているのではないかなと思います。ただ、壁にぶち当たったのは、日本のバレエ文化というのはコンクール文化。踊る場所がない。自分の自己表現をする場所がない。世界のバレエカンパニーに入る前に、フルオーケストラで、フルセットの満場の劇場で、踊る経験をさせることが、感情を表現させることに一番近いのかなと思います。子供たちの本番はDAY1からはじまっていて、役への理解とか、本番に向けての体の調整とか、すべてがプロのダンサーと同じ環境で学べるという状況をつくりたく、3 年前にK – B A L L E T Y O U T H を設立しました。1 回目の公演は「白鳥の湖」という、チャイコフスキーが書いていなければ、バレエ界の進展はおそくなっていただろうというバレエの代名詞である作品を、こどもたちはフルオーケストラのなかで踊る、恵まれた機会を与えることができました。子供たちが全員ダンサーとして成功するとは限りませんが、バレエに打ち込んだ経験はほかの道に進んでも活かせると信じています」などと語った。
友人でもある雅楽奏者の東儀秀樹氏は、「熊川君おめでとうございます。20年前にコラボレーションをしたのがきっかけで親友になりましたね。価値観とか思い入れとかに共感できる数少ない友達です。日本人が芸術分野で世界に名を馳せるには、2つの方法があります。ひとつは日本の伝統文化を背負っていくこと。これは、外国人の興味を引くしわかりやすい方法です。もうひとつは、外国人がやってきたことを日本人がやること。そこで名を馳せようとすると、外国人以上のことをやらねばならない。大変なことです。その見本がまさにこの熊川哲也です。外国人も手の届かない、ドキドキするわくわくすることをやって、参った! と言わせてしまう日本人です。唯一無二の人になっていくのを観ていて、なにかすがすがしくて、日本の誇りであり、世界の財産であると思います」との祝辞には、笑いと力強い拍手が惜しみなく送られていた。
モンブランHP: www.montblanc.com
お問合せ: モンブランコンタクトセンター 0120-39-4810
TEXT: 松田 朗/Akira Matasuda
時計ジャーナリスト
Pavone、Begin、時Begin、VOCE、FRaU、POPEYE、DIMEといった富裕層向けライフスタイル誌や専門誌、女性誌などにかかわる。各国大使館での文化イベント、『松本零士の宇宙観とクロノグラフ展』なども手掛ける(株)フォーシスターズ代表取締役。東京ニュース通信社特派記者。