HIKO(ひこ)の名を聞いたことがあるだろうか? 1986年、地元熊本にて創業し、2000年からはネットビジネスに進出。今では全国に多くのファンを持つセレクトショップである。その特徴は、とにかく“超高級”であること。数十万、数百万円単位の商品が、所狭しと並んでいる。中には1400万円超のレザージャケットなど、驚きを禁じ得ないものもある。そんなHIKOが、満を持して東京・銀座進出を果たした。果たして、どんな店なのか? なぜ高額商品ばかりを扱うのか? どんな顧客が通っているのか? 噂の真相を探りに行ってみた。
今回の Concierge
中村哲彦さん(HIKO取締役会長)
中村響子さん(HIKO代表取締役社長)
HIKOは仲良し父娘にて切り盛りされている。創業者の中村哲彦氏は、もともと熊本のセレクトショップに務めており、1986年に独立。当初は10坪ほどの店からスタートし、現在の規模へと導いた。娘の響子氏は、父の跡を継いで、現在代表を務める。現在は二人とも東京在住で、銀座のニューショップ店頭に立っている。
Q
「もともと熊本では、どんなお店だったのですか?」
A
「熊本は昔からファッション感度の高い“わさもん”の街なんです」
——熊本とはファッション的に見て、どんな街なのでしょう?
「熊本の人は、昔からファッションに対して、非常に関心が高いんです。東京にもまだない海外ブランドのショップが、熊本にあったりします。熊本弁で“わさもん”という言葉があって、 これは“新しいもの好き”という意味ですが、熊本には、わさもんが実に多いのです。NTTドコモやマクドナルドが新しいサービスを導入する時には、まず熊本で試してみてから、全国に展開するそうです。例えば、おサイフケータイも、初めて実施されたのは、熊本だったんですよ」
——なるほど、それは知りませんでした。創業当時は、どんなお店だったのですか?
「主にインポートと国産を半々くらいで扱っていました。フランスやイタリアのピッティなどにも、いち早く買い付けに行っていましたね。最初は有名ブランドを中心に扱っていたのですが、そのうち、『このブランドを作っているのは、この工場なんだ』と裏事情がわかってきました。そして『同じクオリティならば、より価格が安いもののほうがいいのでは?』と思うようになりました。そこで、だんだんとファクトリー・ブランドへシフトして行ったのです」
——商品単価が非常に高いという印象を受けるのですが、なぜそうなったのでしょうか?
「向こうに行ってわかったのは、日本人が知らない良いものが、まだまだたくさんあるということでした。職人たちが丹誠込めて作っている素晴らしい商品を、とにかく紹介したかったのです。そうやってクオリティを追求して行ったら、自然と単価もアップしていったという感じですね。決して最初から、高級路線を狙っていたわけではありません」
Q
「なぜ東京進出をお考えになったのですか?」
A
「きっかけは熊本地震だったのです」
——2016年秋に東京進出を果たされたわけですが、そのきっかけは?
「われわれの理念は、“まだ皆が知らない良いものを、たくさんの人に紹介していく”ということです。ですから、前々から東京に店を出したいとは思っていたんです。しかし直接のきっかけとなったのは、4月に起きた熊本地震でした。あの地震では、われわれの店も大きな被害を受けました。天井が落ち、店が半壊してしまったのです。命の危険すら感じました。そして『人生いつ何が起こるかわからない』と改めて感じ、『ならば今やりたいことをやろう』と思ったのです」
——銀座店の感触はいかがですか?
「オンラインショップを展開していましたので、もともと東京のお客様は多かったのです。しかし銀座店へは地方からのお客様も数多くお見えになりますね。秋田、長野、埼玉、兵庫、大阪、広島、そして熊本などなど。東京出張のついでに立ち寄られる方が多いです。