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Ford Mustang/フォード・マスタング

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祝!マスタング50歳 知られざる軌跡と51年目の英断

近頃TV番組で1964年をテーマにしたものをよく見かける。2020年に東京で開催されるオリンピックに引っ掛け、当時の東京オリンピックを振り返るというものだ。そこで、東海道新幹線が浮かび上がる。日本の大動脈はこの年開通した。先だっては0(ゼロ)系を動かしていた元運転手のインタビューをテレビで観た。すでに博物館ものとなった車両のコクピットで、懐かしそうに話していた。この他にはホテルニューオータニ、テレビ東京などもそうだ。“オリンピック駆け込み組”といったところだろう。

なぜそんな話をするかと言えば、ワタシ自身がそれに当たる。1964年はまさに50周年の年。1月に生まれた。ブラット・ピット、ジョニー・デップが同じ学年にあたる。日本を代表するシンガー、B’zの稲葉氏は9月生まれなのでひとつ下だ。あとは……お笑いの出川ナニガシあたりとなる。

そしてそれをクルマ業界に当てはめると、フォード・マスタングが浮かび上がる。ポルシェ911もそうだと思っていたが、すでに昨年50周年アニバーサリーイベントを行った。彼らは63年のフランクフルトモーターショーを誕生日としたようだ。製造と販売スタートは64年だったと思うのだが……。

それはともかく、1964年4月17日にマスタングは生まれた。当時フォード社の副社長をつとめていたリー・アイアコッカ氏がリーダーとなって行われたプロジェクトだ。ベビーブーマー世代をめがけて立ち上げたという。

初代マスタングとリー・アイアコッカ氏(左)
初代マスタングとリー・アイアコッカ氏(左)

サイズはそれまでにないコンパクトさを強調し、スタートプライスも2万ドルに抑えた。また名前もマスタングというアメリカにそもそもいるとされる野生馬からとり、愛国心を促した。一説には第二次世界大戦で活躍した戦闘機の名前からとったとも言われるが、どちらにせよ正真正銘の“アメリカン”である。どこか力強さを感じさせる。

そんなコンセプトが当たり、マスタングは発売を開始すると爆発的に売れた。発売翌年の65年と66年にはそれぞれ年間60万台以上を記録。この数字はいまだ乗用車カテゴリーでは破られていないから驚きだ。

もちろん、ヒットの要因にデザインは大きく影響する。マスタングは60年代後半からマッチョなスタイリングへと変貌して行くが、発売当初のちょっぴり線の細いところが、当時のアメリカ車の中で新鮮だった。

じつはその影にジャガーEタイプがあることはあまり知られていない。一度文献を目にしたことがあるが、61年のジュネーブショーで発表され、あっという間に世界中に知れ渡ったあの美しいデザインが少なからず影響しているそうだ。

ジャガーEタイプ 
ジャガーEタイプ 

なるほど、ボディの薄さやピラーの細さなどはジャガーに代表されるヨーロピアンテイストを感じさせる。その辺の繊細さは知的にも見えるだろう。もしかしたらそんな雰囲気もヨーロッパに郷愁の念を抱きがちなアメリカ人の琴線に触れたのかもしれない。 [/one_half_last]

このEタイプをデザインしたジャガーカーズの創業者ウイリアム・ライオンズはこの一台で“サー”の称号を得た。1967年、彼は工業デザイナーとしてエリザベス女王からそれを与えられたのだ。“工業デザイナーとして”というところがじつにおもしろい。それまでもいいエンジンといい足回りをつくってきたのだが、そこは思いのほか評価されなかったようだ。

話をマスタングに戻そう。

マスタングはその後もヒット街道をばく進し、今日まで生き続けている。67年にGMがシボレーカマロでそれを追ったが、それも上手にかわした。70年のダッジ・チャレンジャーは強敵ではなかっただろう。アメリカンニューシネマの主人公をつとめる反骨心の代表が、マジョリティになることはない。

とはいえ、すべてが順風満帆だったわけではない。73年と79年の2度のオイルショックもそうだし、80年代の日本車の台頭でもマスタングは苦しんだ。21世紀に入り、カマロの生産中止が発表されたときには、次はマスタングかとも囁かれた。だが、それも乗り越えた。リーマンショックもそうである。あのときは会社がつぶれそうになった……。

九島辰也

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