また、その背景にはW.O.ベントレー氏自身が裕福な家庭に生まれたことも関連すると言われる。ベントレーボーイズは彼の学生時代の友人やプライベートで知り合った仲間で構成されていた、という説がある……。
といったように、ベントレーは由緒正しい生い立ちと実力を持ち備えていた。ただ、じつはその華々しい実績がW.O.ベントレー氏を苦境に立たせる。1931年、ロールスロイスがベントレーを買収するのだが、その理由をある文献はこう書いていた。「これから先ロールスロイスの最大のライバルとなるのはベントレー。であれば、それを買収してしまうのが一番の解決策となるだろう」と。
戦前のベントレーがいかに技術力が高く、富裕層を中心とした多くの人に羨望のまなざしで見つけられていたのはおわかりいただけたと思う。
では戦後はどうか。
ひとつおもしろいエピソードがある。それは、アストンマーティンにベントレーのエンジンを乗せたモデルが存在していたという話だ。
ことのはじまりは1946年頃。当時経営の厳しかったアストンマーティンはタイムズ誌にオーナー募集の広告を出した。財政難により出資者を求めたわけだ。そこで、名乗りを挙げたのがディビッド・ブラウン氏。彼についての詳細は省くが、英国の実業家である。アストンマーティンを手に入れたブラウン氏が、次に欲したのはエンジン。スタイリングとハンドリングの優れたアストンマーティンではあったが、エンジンはたいしたことがないと結論づけたのだ。そこで、定評あるエンジンを持つラゴンダ社を買収。そのエンジンをアストンマーティンに搭載した。
そのラゴンダ社のエンジンを設計、組み立てていたのがじつはW.O.ベントレー氏だった。
彼は会社がロールスロイスに吸収されると、居場所がなくなりラゴンダ社でエンジン製作を手がけていた。結果、アストンマーティンのボディにベントレー(氏)のエンジンを積んだDB2が生まれた。まさに夢のコラボレーションである。
ベントレーにまつわる逸話は尽きないので、こうして徒然なるままに記しているとスペースが足りない。なので、今回はこの辺にとどめるが、言いたいのはこのブランドが単なる高級車というカテゴリーだけでおさまらないこと。もしアナタがクルマが好きで、スポーツカーが好きで、レースが好きで、なおかつ雰囲気があるものを好んで、クルマにブランド力を求めるなら、ベントレーはベストな選択肢であろう。すべての欲求を満たしてくれるはずだ。
思うに、ベントレーはクールでやんちゃなオトナの最高の相棒である。そしてそれを“ドライバーズクラブ”という言葉が言い当てている気がする。