「好き嫌い」から1歩進んだ
コレクションを意識する
「独自のコレクションを作り出す楽しみ」とはどういうことでしょうか? ひとことで説明すれば、単に好きな作品を集めるだけではない、「アートの歴史を紡ぐ」プレイヤーとしてのコレクターの楽しみです。
アートをコレクションするに当たって、最初のうちはどうしても感性に任せて作品を購入することが多くなっていきます。確かに、「アートは感性だけで見てよい」という意見もありますし、最初のうちはどうしても好き嫌いの視点だけでアートを見ることが多くなってしまうでしょう。もちろん、私も最初はそうでしたし、今もそのような買い方をしている作品もあります。それらすべてを否定するつもりはまったくありませんし、そのようなコレクションはとても楽しいです。けれども、「コレクション」という視点で見ると、それだけではコレクション自体に一貫性や意義が生まれにくいのも事実です。
多くのアートに触れ、作品を見る目を養うことで、作家はどんな意識で社会と向き合い作品を生み出し、その作品は社会の歴史においてどんな意味付けを持つのか? そこにも意識が向くようになります。単なる好き嫌いや個人の感性という視点から1歩進んで、より深く作家と作品を理解することにつながっていきます。そのうえで、何でもいいと思うので、自らのコレクションの主軸となるようなテーマや作品や作家という文脈を設けて、それに沿って作品をコレクションしていくと楽しみが広がります。「文脈を設ける」とはどんな意味でしょうか? 私のコレクションを例に説明します。
私は弁護士になる前は写真家を夢見ていた時期があり、写真の学校に通いファッションフォトを撮影していた経験もあります。また、著作権の専門家として写真に関連する法律知識も豊富です。そのため、好きなアートのジャンルも写真であり、写真家の作品をメインにコレクションしています。私のコレクションの核となっていたのは森山大道さん(※1)、荒木経惟さんという日本を代表する2人の写真家です。この2人をメインに、彼らに影響を与えた作家、彼らから影響を受けた作家たちをコレクションしていました。また、著作権的に問題があるような作品や、ファッション関連の作品なども集めていました。そのような集め方をしていると、海外などで知人のギャラリストやコレクターから、「この作家の、こんな作品も君のコレクションの文脈にハマるんじゃないか?」とか「だったら、この作家も買うべきだ」とか、私のコレクションの文脈に沿ったいろいろなアドバイスが集まってくるんです。
さらには、私のような若輩のコレクターでは決して会えないような作家とコレクションの文脈をきっかけに親しくさせてもらったり、最終的には作品をコレクションさせてもらったり。若手の作家さんの作品をコレクションさせてもらったり応援することで、自分のコレクションをきっかけに将来の文脈をあらたに作っていったり。そうやって、作家や作品の関係性を紡いでいくことで、私のコレクションというひとつの世界地図ができあがっていくんです。最終的には、私のコレクションのテーマが「小松隼也」というひとりの人間となり、私がどのように生きたかということをコレクションを通じて分かってもらえるようになれば嬉しく思いますが、それは当分先の目標です。ここまでいくことができれば、私が感性で購入した作品も自分というテーマを通じて紡いでいくことが可能です。
(※1)1938年生まれの写真家。「アレ・ブレ・ボケ」と言われる、画質の荒さ・焦点のブレ・ピントのずれを残した作風が特徴。